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縄文期から塩分補給源として重宝されていた昆布は、いつの時代も人々の生活に欠かせない存在でした。平安時代の頃には、朝廷が行なう仏事や神事に欠かせないものとして登場しています。朝廷に貢納された昆布は、食物として、縁起物として大変尊ばれたようで、支給された寺院では精進料理などに用いられていました。 |
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また、室町時代には乾燥技術が発達し、長期保存が可能になり、武家の食卓へも広がっていきました。戦国時代には、出陣、凱旋の儀式に不可欠のものとなり、打ち鮑5本、勝ち栗7個、長昆布5切れが、打ち勝ち喜ぶと語呂良く、縁起物とされました。1624年頃、箱館で刻み昆布の製造も始まり、近江商人による北前船(東海道とならぶ大動脈)では、明治後半まで、ニシンと並び、最大の交易品でした。その航路はコンブロードとも呼ばれます。 |
■南かやべの昆布を広めたコンブロード |
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17c後半〜18c初めに始まり、明治後期まで続いた当時の日本経済の立て役者。
当初、北海道からの物資は、もっぱら福井の敦賀、小浜の港を経由して上方に運ばれていました。
その後、山陰から瀬戸内を回って大阪に入る、「西廻り航路」が誕生。
この航路の開発によって昆布は大坂に送られるようになり、元禄の頃には、とろろ昆布など加工昆布が盛んに製造されるようになります。 |
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こうして加工法が発達したことにより、昆布は人々の日常の生活に浸透していきました。
その後、コンブロードは琉球まで到達し、昆布は中国への輸出品となっていきます。 |
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